2003. 7. 29 マナン旅日記 〜 10
旅日記 〜 1 旅日記 〜 2 旅日記 〜 3 旅日記 〜 4 旅日記 〜 5 旅日記 〜 6 旅日記 〜 7 旅日記 〜 8 旅日記 〜 9 に引き続き。 マナン周辺概念図
行きも1日遅れで飛んだカトマンズ〜フムデ直行便。
果たして、帰りの便も予定の土曜日には来なかった。早朝カトマンズ〜ルクラを一往復した機体がフムデに向かうのだが、ルクラに着陸後、1時間以上悪天で(ルクラを)離陸できなかった。やっとカトマンズに戻った時には、今度はフムデが雲に隠れてしまった。早朝は好天だったのに!
タワーとカトマンズ管制の話し合い状況は、キャプテン・トリプルを通じて聞こえてくる。彼は衛星携帯電話も持っており、自分の所属する航空会社である Yeti Airlines に
「明日は飛ばせよぉ〜」
と、檄を飛ばしている。9月から春までの乾期は、飛ぶべき時に飛ぶ確率が高い。厳冬期は積雪で飛べないけれど(ヘリは可能)。しかし今は雨期。はぁ〜っ。
朝6時頃から荷物のパッキングをはじめ、待機し、9時前にキャンセル確定。その後は村に1軒あるV-SAT電話にみんなで行き、カトマンズに「遅れるわ」の連絡を入れる。
ロッジでお決まりのダル・バート(ネパールカレー定食)を食べ、男性陣はトランプを始める。シヴァニと私は、部屋で昼寝。午後はブラガ周辺を散歩したり、マナンで顔見知りとなった方にお茶をご馳走になりつつおしゃべりなど。数日来、干し肉以外の肉を食べていない!と云うことで、お調子者のマニシュが鶏探しに出る。電気が安定供給されないマナン〜フムデには冷蔵庫はない。肉は週1回の航空便が運んでくる。または、飼っている家畜をつぶすしかない。貴重品であるため、村の人はなかなか鶏を売ってくれない。お金の問題以前に、殆ど鶏もいない......という現実。
紆余曲折の末、やっと鶏ゲットしたマニシュ。にこにこ顔。肉が用意できたとなると、自然な流れとして酒だよね。夕方から、フムデの Yeti Airlines マネージャーの家で宴会。しかしこのマネージャー、女子高生。トリプルが全幅の信頼を置く、辣腕バイニ(妹)なのだ。
ほろ酔い顔のトリプルが話し出す。
「なぁミキ、俺たちマナンギ(マナンに住むチベット系民族)はカトマンズで、酒飲みの乱暴者だとか、学のない成金(1960-70年代、マナンギ保護政策により海外貿易で財を成した)だと思われているんだ。確かにその通りだった部分もある」
「オレの親父は、マナンの裁判官だったんだ。でもカトマンズに移住してからは、露天商から再出発して財を成した。でも、カトマンズの奴らの尊敬を勝ち取ることは難しかったんだ。だからオレは、絶対に人から尊敬される学歴と職業、社会的地位を掴もうと頑張ったんだ」
でも、トリプルのお父さんはカトマンズで国会議員にも選ばれたじゃないと尋ねると。
「確かに親父は偉大だ。でもなぁ、最初は貧しくて、オレは9歳になるまで学校に入れてもらえなかった。学校に入ったら今度は、親父は忙しすぎてオレを寄宿舎に送ったんだ。そこでもなぁ、マナンギだということで、同級生にバカにされたこと、少なくなかった。社会に出てからも同じさ」
「オレはそんな社会を見返してやりたくて、学校卒業国家統一試験では優等合格するため勉強した。それを実現させた後、経済的に余裕の出ていた親父は、オレをオーストラリアに留学させてくれた。そして、マナン郡出身者ではじめて、パイロットになれた」
「オレはカトマンズで育ったけど......いや、カトマンズで育ったが故に、祖先の土地マナンを誇りに思っているんだ。オレは社会的に成功の階段を上っているから、マナンギという出自を誇ることが出来る。でもマナンには、カトマンズにも、マナンギに生まれたことを誇れない若者たちがいっぱいいる。マナンギの若者たちみんなが、マナンギに生まれてよかった!と思えるような土地にしたいんだ....オレたちのマナンを」
トリプルを会長とするマナン青年会は、来年を Destination Manang 2004 に制定し、マナン村を中心とするマナン郡全域の観光振興キャンペーンを実施する。ネパールの観光プロモーションを担当する、半官半民のNepal Tourism Boardの協賛も決定した。
駆け足で通り過ぎた、8日間のマナン。私は近い将来、この地に帰ってくることを誓った。日本の、もっと多くの人たちにマナンを紹介したい。マナンの美しさ、マナンギの人たちの文化と懐の深い笑顔を伝えたい.....日本に。
またネパールを好きになってしまった。そんな感慨と共に、1日遅れで飛んできたカトマンズ行きの飛行機に乗り込んだ.....【おしまい】
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マナン、そして徒歩30分離れたブラガは、設備の良いロッジが多数ある。太陽熱の温水シャワーとトイレが付いた個室もあるし、イタリアン、メキシカン料理が楽しめるレストランもある。また、薪のかまどで焼いたベーカリーもあり、フィルターコーヒーを楽しめるカフェもある。
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マナンからたっぷり1日歩いた場所にある、ティリチョ・ベースキャンプ。
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「ヤルトゥン」祭を堪能した私たちは、翌朝マナンを後にした。目的地はティリチョ・レイク。
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古来この草競馬は、馬と乗り手の男っぷり(馬っぷり?)を披露するものであるそうだ。ただ速く走れるのは当然。人は出来ないような乗り方、コントロールの仕方で馬を疾走させることが出来るのが、マナンギ男性の「いなせ」な姿なのだろう。
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私たちがマナンに到着したのは、7月6日。夏の到来を祝う祭「ヤルトゥン」の真っ最中だった。マナン村はもちろん、近在の村々からも民族衣装に身を包んだ男たちが、馬に跨って集結する。送り出す女たちは、空高らかにチベットの旋律を歌って送り出す。こんな風景から、マナンの人たち「マナンギ」が、色濃くチベットの出自を持つことが感じられる。
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そう。ネパール全土にマナンを知らしめるネパールTVチームと、地元青年の希望の星であるトリプルを大歓迎!すべく、有志の方たちが待ち構えてくれていたのだ。おまけの私にまで、心温まる歓迎をしてくれるマナンの人たち。ここでいただいたカプセは特に美味しかった。
マナン旅日記 〜 1 に引き続き マナン周辺概念図
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コレハ、オモシロソウダ......瞬間、脳みそに電気信号が走った。亭主にも承諾をとり、その場でランベタに「私も行く!」と力強く意思表明。彼女は東ネパールのリンブー民族出身だが、パイロットのダンナ、トリプルはマナン出身のマナンギー民族である。そのトリプルがマナンの観光振興に力を入れており、毎週1回カトマンズからマナンのフムデ空港まで国内線を飛ばしているとのこと。
マナンへの旅からバタバタと、今日カトマンズに帰り着きました。行きも帰りも1日ずつ、フライト・キャンセルで日程がずれました。
Standard Chartered Bank Nepal は、ネパールでは大手の民間銀行である(ロンドンに本部がある世界規模のStandard Chartered Bankのネパール法人)。サービスの良さで定評があり、クレジットカードも使えるATMを、カトマンズはじめとする都市部に多数設置してもいる。
最近、カトマンズ市内の数カ所で「値段均一99ルピー、品物豊富」と書いた布の看板を出す店を見かけます。もしかして.....