2003. 7. 29 マナン旅日記 〜 10

旅日記 〜 1 旅日記 〜 2 旅日記 〜 3 旅日記 〜 4 旅日記 〜 5 旅日記 〜 6 旅日記 〜 7 旅日記 〜 8 旅日記 〜 9 に引き続き。 マナン周辺概念図

行きも1日遅れで飛んだカトマンズ〜フムデ直行便。

果たして、帰りの便も予定の土曜日には来なかった。早朝カトマンズ〜ルクラを一往復した機体がフムデに向かうのだが、ルクラに着陸後、1時間以上悪天で(ルクラを)離陸できなかった。やっとカトマンズに戻った時には、今度はフムデが雲に隠れてしまった。早朝は好天だったのに!

タワーとカトマンズ管制の話し合い状況は、キャプテン・トリプルを通じて聞こえてくる。彼は衛星携帯電話も持っており、自分の所属する航空会社である Yeti Airlines に

「明日は飛ばせよぉ〜」

と、檄を飛ばしている。9月から春までの乾期は、飛ぶべき時に飛ぶ確率が高い。厳冬期は積雪で飛べないけれど(ヘリは可能)。しかし今は雨期。はぁ〜っ。

ブラガ村朝6時頃から荷物のパッキングをはじめ、待機し、9時前にキャンセル確定。その後は村に1軒あるV-SAT電話にみんなで行き、カトマンズに「遅れるわ」の連絡を入れる。

ロッジでお決まりのダル・バート(ネパールカレー定食)を食べ、男性陣はトランプを始める。シヴァニと私は、部屋で昼寝。午後はブラガ周辺を散歩したり、マナンで顔見知りとなった方にお茶をご馳走になりつつおしゃべりなど。数日来、干し肉以外の肉を食べていない!と云うことで、お調子者のマニシュが鶏探しに出る。電気が安定供給されないマナン〜フムデには冷蔵庫はない。肉は週1回の航空便が運んでくる。または、飼っている家畜をつぶすしかない。貴重品であるため、村の人はなかなか鶏を売ってくれない。お金の問題以前に、殆ど鶏もいない......という現実。

紆余曲折の末、やっと鶏ゲットしたマニシュ。にこにこ顔。肉が用意できたとなると、自然な流れとして酒だよね。夕方から、フムデの Yeti Airlines マネージャーの家で宴会。しかしこのマネージャー、女子高生。トリプルが全幅の信頼を置く、辣腕バイニ(妹)なのだ。

ほろ酔い顔のトリプルが話し出す。

「なぁミキ、俺たちマナンギ(マナンに住むチベット系民族)はカトマンズで、酒飲みの乱暴者だとか、学のない成金(1960-70年代、マナンギ保護政策により海外貿易で財を成した)だと思われているんだ。確かにその通りだった部分もある」

「オレの親父は、マナンの裁判官だったんだ。でもカトマンズに移住してからは、露天商から再出発して財を成した。でも、カトマンズの奴らの尊敬を勝ち取ることは難しかったんだ。だからオレは、絶対に人から尊敬される学歴と職業、社会的地位を掴もうと頑張ったんだ」

天と地と祈りの風景でも、トリプルのお父さんはカトマンズで国会議員にも選ばれたじゃないと尋ねると。

「確かに親父は偉大だ。でもなぁ、最初は貧しくて、オレは9歳になるまで学校に入れてもらえなかった。学校に入ったら今度は、親父は忙しすぎてオレを寄宿舎に送ったんだ。そこでもなぁ、マナンギだということで、同級生にバカにされたこと、少なくなかった。社会に出てからも同じさ」

「オレはそんな社会を見返してやりたくて、学校卒業国家統一試験では優等合格するため勉強した。それを実現させた後、経済的に余裕の出ていた親父は、オレをオーストラリアに留学させてくれた。そして、マナン郡出身者ではじめて、パイロットになれた」

「オレはカトマンズで育ったけど......いや、カトマンズで育ったが故に、祖先の土地マナンを誇りに思っているんだ。オレは社会的に成功の階段を上っているから、マナンギという出自を誇ることが出来る。でもマナンには、カトマンズにも、マナンギに生まれたことを誇れない若者たちがいっぱいいる。マナンギの若者たちみんなが、マナンギに生まれてよかった!と思えるような土地にしたいんだ....オレたちのマナンを」

トリプルを会長とするマナン青年会は、来年を Destination Manang 2004 に制定し、マナン村を中心とするマナン郡全域の観光振興キャンペーンを実施する。ネパールの観光プロモーションを担当する、半官半民のNepal Tourism Boardの協賛も決定した。

駆け足で通り過ぎた、8日間のマナン。私は近い将来、この地に帰ってくることを誓った。日本の、もっと多くの人たちにマナンを紹介したい。マナンの美しさ、マナンギの人たちの文化と懐の深い笑顔を伝えたい.....日本に。

またネパールを好きになってしまった。そんな感慨と共に、1日遅れで飛んできたカトマンズ行きの飛行機に乗り込んだ.....【おしまい】

天井に描かれた曼荼羅信仰心の厚い、マナンの人々


2003. 7. 28 マナン旅日記 〜 9

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マナン全景

マルシャンディ河の段丘に広がる街、マナン。
街中の至る所に門がある。迷路のようなマナンの道
過激なティリチョ・レイクへの旅を終えた私たちを、村の人たちは温かく迎えてくれた。青年有志による歌と踊りによる歓迎集会では、村一番のロッジを経営する青年、ビノード・グルンさんの作詞作曲による歌も披露された。短調のメロディーが、マナンの風景にとけ込む。

アンナプルナ・ヒマラヤの北側に位置するマナンは、夏の時期(=私たちが訪れた頃)以外は、殆ど雨の降らない乾燥気候である。また冬の寒さは厳しく、氷点下20度を超えた冷え込みも珍しくない。

トレッカーなどの観光客が訪れるのは、春と秋の合計4〜5ヶ月程度。この時期はロッジなど、観光業の最盛期となる。それ以外の時期は、訪れる人も少ない静けさが村に充満する。住民は、夏は農業のため村に滞在。そして厳しい冬は留守番だけ村に残して、避寒のためカトマンズに下りるのが一般的だという。

マナンの村は、真っ平らな屋根を持つ、石積みの家が密集している。屋根の上には、乾燥のため薪が積み上げられており、チベット的な街並みである。人家の壁と壁の間は、迷路のような道となっている。その幅は、馬に乗った人がすれ違える程度しかない。

陳腐な表現であるが、まるで「映画のセット」の中に迷い込んだような、「タイムスリップ」したような、不思議な感覚にとらわれる。東京、カトマンズ、マナン、ティリチョ......同じ地球上にあっても、時間の流れは同じではないな。そんなことを考えてしまう。ヒマラヤの時間は清浄に、そしてまったりと流れる。

マナンのロッジ・レストランマナン、そして徒歩30分離れたブラガは、設備の良いロッジが多数ある。太陽熱の温水シャワーとトイレが付いた個室もあるし、イタリアン、メキシカン料理が楽しめるレストランもある。また、薪のかまどで焼いたベーカリーもあり、フィルターコーヒーを楽しめるカフェもある。

ティリチョでの過激かつシンプルな生活の後、マナンで食べたラザニアは旨かった!

マナン最後の日は半日、それぞれ撮影、取材、写真撮影.....と、各自心のままに過ごした私たち。あとは2時間半歩いてフムデに行く。そして空港前のロッジに1泊。土曜日早朝のカトマンズ直行便に乗る。飛行機が飛んでくれば......

マナンで最後の昼食後、撮影に手間取るTVチームと別れ、ひとり先行してフムデに向かう。平らな道をぶらぶら行くだけなので「まぁいいか」と、mp3のヘッドフォンステレオを聞きながら歩く。チベット仏教の声明やら、「ヒマラヤのナイチンゲール」の異名を持つ、故アルナ・ラマのアルバムなど。ヒマラヤの景色と相まって、自分の魂が高く高く登っていくような、そんな感覚にとらわれる。

霧雨の中フムデに着く。ホットレモンを飲み、ロッジの部屋に入り、シャワーを浴び、ずいぶんとのんびりした頃、やっと御一行さま到着。左足のアキレス腱を痛めたシヴァニは、途中から馬に乗せてもらったそうだ。とにかく「もう歩かなくて良い!」と、TVチームはほっとした様子。一方トリプルは、「もうこの人たちを歩かせなくて良い」と静かにたばこを燻らせつつ、苦笑いの表情で和んでいる。

旅は終わった筈だった。しかし.....【つづく】


2003. 7. 25 マナン旅日記 〜 8

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ティリチョ・ベースキャンプからの帰路は、4,000メートルを超える高地でいきなり高度差800メートルを直登する、通称「上の道」を行くこととなった。

下りであれば45分(コースタイム)。しかし、高度差800メートルを45分で下る道というのも、これはこれでオソロシイ。ここを登ると、さて何時間かかるだろう?トリプルは2時間と云うし、ネパールTVチームは3時間以上かかるだろうと弱気を前面に出している。

いつもなら、インスタント・ラーメンであっても何でも、朝食を摂ってから出発するのだが.....今日のトリプルは妙に気が急いている。お茶を飲んだだけで出発だぁ!と。それでも昨日のティリチョで高度順化出来ているからだろう。とにかく急なジクザク坂だけれど歩ける。トリプル+マニシュ1時間55分。私2時間ジャスト。TVチーム2時間15分で頂上のコル(鞍部)に到着。ここからカンサールまでは、約3時間の下り。道は広く安全.....本当に。

ここでランボーがシヴァニに

「ここからさぁ、ちょーーっとだけ行ったところにヤクの放牧地があってさ。ステキなんだぜ。そこからまっすぐカンサールに降りる道もあるしさ。楽勝だよ」

とささやく。山歩きになれていないが、とにかく好奇心旺盛なシヴァニは目を輝かせて行く!と云う。にんまり笑うランボーと、いらついて怒り出すトリプル。

ランボーはシヴァニをかっさらうようにして道を大きく外れ、ヤクの放牧地に向け歩き出す。こうなると皆、そちらについて行くしかない。トリプルはまだ怒っている。彼は弟分のマニシュに目配せ。マニシュは皆から離れて、コルからの一般道を、カンサールに向け下り始めた。どーしちゃったの、今日は変だよトリプル。

天上のお花畑

緑の絨毯を敷き詰めたような高原の中、ランボーを道案内に進む。一面に咲き誇る高山植物。天上の楽園だぁ。

と、最初は喜んでいたが、あるけどあるけどヤクの放牧地に着かない。ランボーはもう後10分と、何度も繰り返しつつ2時間は経つ。トリプルは怒っている。そして、斜面を下り沢に出くわした。何事もなかったように渡るランボー。呆然とする私たち。

沢を渡ったら今度は、田んぼのようなぐちゃぐちゃ道を登る。布製のトレッキングシューズを履いたTVチームは悲鳴を上げる。私はその朝、虫の知らせでロングスパッツをつけていてセーフ。トレッキングシューズは、もちろん完全防水だよ。それにしても、なんだこの道。思わず

「ランボーの兄貴、えーかげんにしないと怒るぞ、おい」

と叫ぶ。もう後10分だから....ランボーは逃げるようにして進む。そして何回目かの10分後、

マナンのヤク放牧地のテント

やっとヤクにご対面。エベレスト方面と違い、マナンのヤクは荷物運びなど「使役労働」を強いられていない。そのせいか身体が大きく、よく肥えている。近くにはヤクの毛で織った布製のテントがある。夏の2ヶ月間、村人は交代でヤクの放牧地で過ごす。ヤクは新鮮な草をお腹いっぱいに食べ、充分に肥え太るのだ。

シヴァニは念願の「ヤク・レポート」を収録。
お花畑のシヴァニちゃん
ここで時計を見る。朝7時半に「お茶一杯」だけで出発し、飲まず食わずで既に午後1時過ぎ。カンサールまでも後どれくらいかかるのだろう。トリプルは堪えきれずに

「今日はなぁ、夕方からマナンで、俺たちを歓迎するための歌と踊りの集会があるんだよ。みんなをビックリさせようと黙っていたけれど、もう限界だ。さあ歩くぞ」

満面の笑みをたたえたランボーは

「どーせ間に合わないんだよ。いっそ今夜は、オレの村カンサールで1泊しようじゃないか」

何となく雰囲気で分かったことだが、カンサール村の住民感情として、TV取材がマナンを中心に行われることに対する「微妙な気持ち」があるようだ。今日の夕方マナンで何が予定されていようとも、ええい、カンサール村の領域をめいっぱい案内しちゃえ。マナン村での準備など関係ないや。間に合わせずに、あわよくばカンサールで1泊させちゃえ。と、ランボーの顔に書いてある。

そう云えば彼、日本のテレビ取材が来る時は是非、マナンではなくカンサールでと私に念を押してくる。オレの弟はネパール映画の悪役としても有名で、スタントシーンもオレが仕切ってやるから......と。私、ドキュメンタリーの人なんですけどと説明するも、とにかく劇場大ヒットすればいいじゃないかとのお返事。完璧に話題の軸がずれている。いい人なんだけど、ランボー。

行きに通ったゴンパを遙か真下に見ながら、急な坂を下る。シヴァニの歩き方が変だ。でも、口を一文字にして歩いている。結局カンサールに着いたのは午後3時。通常の道を行ったなら、既にマナンについて一服入れている筈の時間だ。トリプルの顔が、極限まで引きつっている。

ランボーの実家では、見るからに優しそうなお母さんがごはんを作って待っていてくれた。心のこもった、シンプルなダルバート(ネパール・カレー)をいただく。

ランボー最後のプレゼントは「村の人たちの合唱」。是非テレビに収録してくれとのことで、結局カンサールを出発したのは午後4時15分。シヴァニの歩き方は依然おかしい。左足を明らかに引きずっている。8時間近くの、起きてから飲まず食わずの過激上り下り歩きのせいだろう。見ていて可哀想だ。私はここ連日のダルバートとインスタントラーメンに食傷し、「ピザ、ラザニア、ダイエットコーク」という妄想を抱きつつ歩く。

マナンには夕方6時、やっとのことで到着。ロッジになだれ込みマニシュと合流。全員しばらく放心状態で言葉も出ない。気がつくとトリプルがいない。しばらくして帰ってくると、村の青年有志による歓迎会は夜8時からに変更してもらったと、安心した表情で伝えてくれる。ありがとう。おつかれさま、トリプル。

部屋に入ってシャワーを浴びる前、ロッジの食堂に夕食をオーダーしておく。私が仕切らせてもらい、当然のごとくピザ、ラザニア、焼きそばとオーダーす。実はシヴァニも同じ事を考えていたそうで、わーい!今日は大好物ばかり.....とはしゃいでいる。しかし彼女、部屋に行って靴を脱ぐと苦痛で顔をしかめる。左足のアキレス腱を痛めたようだ。しかも下りの道で、太腿を中心に過激な筋肉痛。

高山植物勢揃い

トリプル、マニシュ、私をのぞくTVクルー3人は、程度の差あれ3人とも筋肉痛。ランボーに敬意を表し、「ランボー・ペイン」と名付ける。はぁ〜っ、過激なティリチョ往復は取りあえず無事終了。でも、まだ旅の終わりじゃない.....【つづく】


2003. 7. 24 マナン旅日記 〜 7

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チィリチョ・ベースキャンプマナンからたっぷり1日歩いた場所にある、ティリチョ・ベースキャンプ。

ここには1軒だけロッジがある。写真で見るとなかなか立派だが、収容人数は合計でも20人弱。食事の方は、インスタントラーメン、ダルバートなどなら可能。ただし、ネパール人でも「ここのダルバートは努力して食べた」と言わしめるもの。チィリチョに行くなら、自前のテントや炊事セット+食料。またはテント泊まり+キッチンチーム同行のトレッキング手配をすることを強くお薦めしたい。

さて、ベースキャンプからティリチョ・レイクへは、最初は緩やかに2時間ほど登る。ガレ場に到着してからは約45分間、急坂にジグザクにつけられた道を黙々と登る。何も考えず、自分の足元を見て、ゆっくりとしたリズムを保つ。そして、出来る限り休まず登る。というか、休まないで大丈夫なペースを保つ。人間の一歩は小さいが偉大だ。どんな坂も登り切ることが出来るのは、自分の2本の足なのだ!

このあたりから霧にまかれ、しょぼしょぼ霧雨に濡れる。私はまだ、ハイテク繊維のシャツ、トレッキングパンツ、そしてゴアの雨具を着ているからいい。シヴァニたちTVクルーは、一目で水漏れしていることが分かる気休め雨具しか着ていない。中に着ているのもコットン濡れたら身体がどんどん冷えていく。

それでもみんなガンバル。たどり着いたティリチョ・レイク。

霧のティリチョ・レイクわーい、でも何も見えないぞーーー

霧で何にも見えない!晴れているとこんな風に見えるのに......。待っていると霧が一瞬引いて水面が顔を出す。おお、ティリチョ・レイクだ、万〜歳!と、ひとりではしゃぐ私。ハイテク繊維+ゴア雨具の威力なのだ。

それにしても寒い.....と思ったら、雨ではなく小粒の雪が降ってきた。横を見ると、シヴァニが座り込んでしまった。ここは5,000メートル近い高所。高度障害なら大変だ。何か着るものをというので、私のザックの中にあったフリースを着てもらう。TVクルーは、防寒着も持たずに登っていたとは。トリプルとランボーたちは、霧の中に消えていった。しばらくして現れた彼らは、どこから持ってきたのか材木やベニヤ板の切れ端を抱えている。

「こう寒いとやりきれない。とにかく暖をとるんだ」

と、雨中の焚き火に挑戦している。トイレットペーパーに火をつけて、何とか木を燃やそうと1時間近く悪戦苦闘する。その横でシヴァニはうずくまったまま声も出さない。全員唇を紫色にして、身体の内と外から襲いかかる寒さに震える。本来自然保護地域の中では、焚き火など言語道断。ただこの場合は.....仕方なかった。許されたい。やっと火が燃え上がる。無言で火を囲む私たち。しばらくしてシヴァニが

「ああ、寒かった」

と復活する。寒くて参っていただけで、頭が痛かったりなど高度の障害は出ていない。この子、強いわ。しばらくするとTVクルーは、霧の中での収録を開始した。

雪の中の収録カラ元気!

その後も2時間ほど天候回復を待つが、空しい結果に終わる。最後にカラ元気の記念撮影。ベースキャンプに向かって下る。帰路はさっさと歩いて1時間半。ロッジで食べたラーメンが、腹の底に染みわたる。

ティリチョ・レイクはこのように、どんな天候になっても「逃げ込める」小屋もなければ、雨をしのげる森林もない。運悪く悪天につかまった場合、とても辛いことになる。雨期のトレッキングの場合ティリチョ往復だけであっても、小型のガスコンロや簡易テントツェルトなどの携行をお薦めしたい。またティリチョから直接ジョムソムに抜けるルートは、ロッジも茶店もない。テント持参、食料持参の準備+高度での行動となり上級者向けである。

マナン、カンサールまでは「初心者全然問題なし」であるが、そこから先(ティリチョ往復、ティリチョ〜ジョムソム、マナンからトロン・パスを越えてムクティナート)に足を踏み入れる場合、信頼できるトレッキング代理店のアレンジとガイド・キッチンチームの同行が必要である。

それにしても、苦労して登って湖がよく見えなかったのは残念。もし翌朝好天なら、再度ティリチョを往復しようかな?と考える。しかし明日は、マナンまで帰り着かなくてはならない。最悪2時間手前のカンサールまでは。TVチームはそんな元気はないという。

トリプルとも相談し、TVチームは翌日まっすぐマナンに戻る。私は好天なら、ランボーと一緒にティリチョを往復後カンサール、またはマナンまで戻る事に決定。強行軍だかやるしかない。その夜は全員疲労のため、早くに就寝。

翌朝4時に目覚めた私は、昨日同様の雨模様にガックリ。寝直して結局、全員まっすぐマナンに戻ることとなる。

待てよ、マナンへの道は、

1.いきなり標高差800メートル直登で始まる、上の道。
2.ハリーポッターのお城のような断崖絶壁を通る、行きに来た道。


のふたつしかない。2は高度差はないが、落石の危険あり。しかも、昨日今日と降り続く雨で土壌が緩んでいる。ヘタをすると、マルシャンディ河に向かって滑落じゃん.......ぞーっ、ぞーっ、ぞぞぞーーーっ。

さぁ、私たちはどの道を選ぶのか?そしてそこには、来た時以上の天国と地獄が待っていた.....【つづく】


2003. 7. 23 マナン旅日記 〜 6

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ティリチョへの道「ヤルトゥン」祭を堪能した私たちは、翌朝マナンを後にした。目的地はティリチョ・レイク。

標高4,920メートルに位置するこの湖は、世界で最も高い地点にある湖だそうだ。マナンから緩やかなアップダウンの道を2時間半で、カンサール村に着く。ここにもVSATによる電話がある。広場の後ろ、迷路のような道をたどる必要があるため、場所は村の人に尋ねてほしい。

村はずれには「ティリチョ・レイクはこちら」の看板がある。この先に、ネパールTV取材班を震撼、そして全員を爆笑の渦に巻き込む風景が待ち構えていたのだが。

カンサールからはひと登りで、タレ・ゴンパ(チベット仏教の僧院)に着く。ここで持参のクラッカー、缶詰ハム、チョコレート、水などで昼食を摂る。今回のトレッキングには、いわゆる「トレッキング・スタッフ」、ガイドやキッチンチームは同行していない。マナン出身のトリプルが、荷物を持ってくれるポーターさんをアレンジしてくれているだけだ。従って、食事は「過ぎる」ほどにシンプル。

「しかし、カンサールからティリチョ・ベースキャンプまでの間は.....うーーむ」

と、いつになくトリプル、朝から不安げ。カンサールからは村でロッジを経営する、妙に元気なトリプルの友人が道案内のため同行してくれることとなった。彼の名は「ランボー」。本名は絶対あるのだろうが、村での呼び名なのだそうだ。ランボー。この時点では、彼の善意に裏打ちされた過激さに気づくものはいなかった。

「おい、トリプル。新しくできた真ん中の道で大丈夫!オレたちがちゃんと整備してあるから」

ランボーの発言に?????取材チームの紅一点シヴァニが

「ねぇ、マナンにいる時、絶対上の道を行け!って云われたのよね。下の道は断崖絶壁を通るし落石の危険もあるって」

「はは、お嬢さんダイジョーブ」

ランボーは笑い飛ばし、トリプルはまぁ......いいかという、妙に複雑な顔つき。持参の地図を観ると、山腹をトラバースする道は旧道とあり、山を高巻きし、最後にベースキャンプまで標高差800メートルを45分で下るという、これはこれで恐ろしそうな道を「行くべし!」と記載されている。この両方の「中間」の道って?ゴンパから2時間ほどは、お花畑のようなのどかな景色を行く。これが新しい道なのなら楽勝じゃん!と思っていると。

突然道は蕩々と流れ落ちる滝に出くわした。あれ?あれ?あれぇ?と思って対岸を見ると、トリプルが手を差し出す。

「ミキ、オレの手を頼りに飛ぶんだ」

あれぇ〜。でも、飛ぶしかないのね。覚悟を決めて、トリプルにぐいっ!と引っ張られて1メートル半ほど飛んだ。トリプル・ゴリラーマン・パワーのおかげで、滝を越える。と、今にも落石が落ちてきそうな絶壁に道がつけられている。息を切らして15分ほど、危険地帯を乗り越える。下を見ると、シヴァニたちネパールTVチームがもがくように登ってくるのが見える。

ああ、なんて危険!と思って先を見ると..........

オーマイガーット!な道が続く断崖絶壁を行く

まぁ、見渡す限りの砂利と浮き石、途中に引っかかった大岩石のなかを横切る道が、延々と続いている。地図を取り出してみると、こりゃぁ「危険、行くな」の旧道じゃあないか!ランボー曰く、途中までは新しく作った真ん中の道・新道。そして最後は旧道に合流するとのこと。

私は昔取った杵柄、もっとヤバいガレ場もずいぶん歩いた経験があるから大丈夫(剱岳・池の谷ガリーを思い出しましたゼ)。だがぁ、後続のTVチーム、シヴァニ嬢とディレクターのスルヤマンが泣きそうな顔をしてへっぴり腰。こうなると、余計に足下がおぼつかず、砂利に足を取られる。シヴァニはトレッキングは初めて.....だけでなく、こんなに長くて不安定な道を歩くのも初体験。歩けなくて当然なのだが、奥歯を噛みしめた表情で泣き言も言わず黙々と努力している。

「この子、ただのギャルじやないわ」

私は胸の中でつぶやいた。業界の中で自分を確立したい。番組を通じてネパールの人たちに、自国の姿を軽〜く、そして熱く紹介したい。という「想い」がシヴァニを動かしているようだった。そんな彼女を励まそうと、トリプルが真顔で冗談を言う。

「この風景はなぁ、ハリーポッターの映画ロケにも使われたんだぞぅ〜(真っ赤なウソ)」

この発言を冷静に受け取る余裕は、このときのシヴァニにはなかった。疲労困憊しつつもカメラクルーに指示を出し、みなさ〜ん、この風景はハリウッド映画ハリーポッターでも.......とレポーティングを始めた。疲れから舌が回らず、テイク2まで。トリプルは笑いをこらえて肩が震えている。そしてしばらくして......堪えきれずに大爆笑!笑いの輪が全員に広がる。絶壁の道は、行っても行っても回り込んだ先にまだ続き。たっぷり2時間半かかった。

シンプルなロッジが1軒ある、標高4,150メートルのティリチョ・ベースキャンプに到着したのは、夕方4時過ぎであった。明日はティリチョ・レイクを往復。

「今日は大変な道だったけれど、明日は高度の問題だけだよね。何とかなるよね〜」

はははははっ!この楽天主義者たち.....と運命の女神さまは、腹を抱えて笑っていただろう。何が起こるか、ティリチョ.....【つづく】


2003. 7. 22 マナン旅日記 〜 5

マナン旅日記 〜 1 マナン旅日記 〜 2 マナン旅日記 〜 3 マナン旅日記 〜 4 に引き続き マナン周辺概念図

おう!なんと。この旅の首謀者トリプルが、愛馬に跨ってにこにこ笑っている。

そうだ、トリプルはマナンの大旦那の息子。生後6ヶ月で家族と共にカトマンズに移住し、高校卒業まで過ごし、その後の大学生活をオーストラリアで過ごしたとはいえ、やはり生粋のマナンギだったのだ。マナンの実家に置いてあるという民族衣装の乗馬服と毛皮の帽子が、似合いすぎでいる。トリプル、(本職である)パイロットの制服より似合ってるゼ。カッコイイ〜!愛妻に見せてあげたかったゼ!

キャプテン・トリプルいざ、競争

さて、馬行列に参加した男たちと馬が、続々と河原に集結する。そして、長さ500メートルくらいの直線コースを、2〜3人のグループ毎に疾走するのであった。途中鞍から身を投げ出し、馬の横腹にへばり付くような姿勢で駆け抜ける元気者もいる。

人馬一体で疾走する古来この草競馬は、馬と乗り手の男っぷり(馬っぷり?)を披露するものであるそうだ。ただ速く走れるのは当然。人は出来ないような乗り方、コントロールの仕方で馬を疾走させることが出来るのが、マナンギ男性の「いなせ」な姿なのだろう。

目をひん剥き、口を大きく開けて走る馬の表情がまたすごい!見物人も、やんやの大歓声。同行していたネパールTV取材班も、大喜びで撮りまくる。

馬の背で走るのに疲れたら、河原にある茶屋で一服。祭りの今日は茶ではなく、自家製のどぶろくでのどを潤す村の人たち。チベット風蒸し餃子「モモ」もある。ただし中身は肉でなく、マナンの水と太陽が育てた「サーグ」という菜っ葉を刻んだもの。電気が1日おき。しかも夕方6時から夜11時までしか来ないマナンでは、冷蔵庫は普及していない。夏のこの時期、大量の肉を貯蔵しておく方法がないのだ。しかしこの「野菜モモ」、ビリ辛のソースと一緒に食べるとウマイ!

マルシャンディの河原に夕暮れが訪れ、そろそろロッジに帰ろうかな?あれ、でもみんなどこに向かっているんだろう?村の人たちは皆、山肌にへばり付くように建つゴンパ(チベット仏教の僧院)に向かっている。よぉ〜し、と私たちも続く。

そこでは女性たち総出の炊き出しで、ごはんが振る舞われていた。ご相伴にあずかる。

食事も済んで、日も暮れて。晴れ着に身を包んだ男性グループ、女性グループの踊りが始まった。中に着たブラウスの、長い袖をひらひらさせながら踊る。時には床を踏み鳴らし、男女で掛け合うような踊りもある。

踊れ踊れ!踊る踊る!

私たちは夜10時過ぎにゴンパを後にしたが、踊りの輪は明け方まで途切れることもなかったそうである。

すっかりマナンの祭り色に染まった私たちである。が、これはマナン旅の「前菜」に過ぎない。メインディッシュはこの後だぁ!しかしこのとき、そこまで「濃厚」な旅が待っているとは、私もネパールTV取材班も、いやトリプルでさえも考えていなかったのだ.....【つづく】


2003. 7. 21 マナン旅日記 〜 4

マナン旅日記 〜 1 マナン旅日記 〜 2 マナン旅日記 〜 3 に引き続き マナン周辺概念図

見送りの歌馬馬馬.....

屋根の上から祭り見物私たちがマナンに到着したのは、7月6日。夏の到来を祝う祭「ヤルトゥン」の真っ最中だった。マナン村はもちろん、近在の村々からも民族衣装に身を包んだ男たちが、馬に跨って集結する。送り出す女たちは、空高らかにチベットの旋律を歌って送り出す。こんな風景から、マナンの人たち「マナンギ」が、色濃くチベットの出自を持つことが感じられる。

村はずれの小さな空き地に集まった馬、馬、馬。その上には、上気させた顔の男、男、男。勇壮な男たちの歌が始まった。何処か遠い昔に聞いたことがあるような、懐かしい節回しが続く。

さあ、「馬行列」は村はずれの河原に向けて行進を始めた。約200頭はいるだろう。先頭を切るのは、幟を掲げる少年を乗せた馬。村人たちは、平坦な屋根(雨が極端に少ないため、傾斜のある屋根は必要ない)の上に鈴なりになっての見物だ。

河原に着いた行列は、そこから山の斜面を登ってゆく。村のゴンパ(チベット仏教僧院)に向かうのだ。見物人は三々五々と、河原の平坦地に集まってくる。何が始まるのだろう?

「ひゃっほぅ〜!気分最高だゼぃ」

何処かで聞いたことのある、でも聞いたことのない種類の大声のする方向を見ると.....【つづく】


2003. 7. 17 マナン旅日記 〜 3

マナン旅日記 〜 1 マナン旅日記 〜 2 に引き続き マナン周辺概念図

マナンからトロンパス(峠)を越えてのジョムソムなどの地域は、アンナプルナ・ヒマラヤの北側に位置する。モンスーンの雨を運ぶ雲はこの巨大なる山群に阻まれ、北側の地域は雨が少ない乾燥地帯が広がっている。

とは云え、雨期真っ最中の7月はマナンにも雨は降るし、展望を遮る雲も発生する。また、マルシャンディ河の流れに恵まれたこともあり、この時期マナンは「岩肌むき出しの岸壁」と「緑したたる谷筋」の、美しいコントラストを見せている。

空港のあるフムデからマナンまでは、2時間半ほどのトレッキング。道幅は広く、ごく緩やかな登りである。マウンテンバイクで走ると、最高に気持ち良さそうだ!

地元の人たちは......もちろん歩きが基本だけれど、マナンの人たちは馬を足として利用することも多い。カトマンズの人たちがバイクに乗る感覚なんだろうな。ちょっと小振りな馬であるが、人馬一体となり颯爽とギャロップする姿はなかなかステキである。

マナン周辺マナンの「足」は馬

マナンの30分手前には、ブラガという村がある。街道筋には快適なロッジが並び、ベーカリーもあればフィルターコーヒーを飲ませてくれるカフェもある。反対側には、山肌にへばりつくように古い集落が広がる。その様子はまるで、天空都市。古めかしくあって、そして近未来的にも見える。

ブラガの街道筋には、VSATを利用した電話施設もある。同様の施設はフムデ、マナン、そしてマナンから2時間ほど行ったカンサールにもある(各村に1ヶ所電話施設がある)。トレッキングの途中、日本の家族や友人に「サプライズ・コール」をするのもいいよね。ヒマラヤのど真ん中から日本に届く声は、親しい人への最高のプレゼントだと思う。

さて我々、ネパールTV取材班、地元出身のパイロットであるトリプル、IT小僧のマニシュ、そして私はマナン村の入り口に到着した。そうしたら、村の女性たちを中心とした一団がずらりと並んでにこにこしている。手にはカタ(チベット仏教徒が客を歓送迎する時に首にかける絹のスカーフ)、花、ロキシー(自家製蒸留酒)、カプセ(チベット風揚げ菓子)、ポップコーン、キャンデーなどを捧げ持っている。

Welcome to Manangそう。ネパール全土にマナンを知らしめるネパールTVチームと、地元青年の希望の星であるトリプルを大歓迎!すべく、有志の方たちが待ち構えてくれていたのだ。おまけの私にまで、心温まる歓迎をしてくれるマナンの人たち。ここでいただいたカプセは特に美味しかった。

トリプルを中心とする「マナン青年会」マナン本部とカトマンズ支部は、来年2004年を「マナン観光年 Destination Manang 2004」として、様々な観光誘致活動を繰り広げている。諸外国のみならず、ネパール国内にもマナンの素晴らしさを紹介しよう!と云うものである。この観点から、ネパールTVの人気番組マナン取材が決定した訳である。

司会者シヴァニは村の人たちと軽妙トークを繰り広げ、カメラマンのシャシは三脚使わず「いーかげん過激カメラ攻撃」で収録をする。マナンは3,540メートルと高地のため、シャシは時に息切れ。そんな時はディレクターのスルヤマンがカメラを回す。見事なる「おやぢ連携プレイ」じゃ!

撮影終了後、ロッジに入る。くつろぎ体制に入った私たちに向かい、トリプルがご発声。

「お楽しみはこれからだゼィ、ベイビ!」.....【つづく】


2003. 7. 16 マナン旅日記 〜 2

チーム・マナンマナン旅日記 〜 1 に引き続き マナン周辺概念図

さて、今回の旅のメンバーを紹介しよう。ネパールTVの人気番組「メロギート・メロサンデーシュ」 制作チーム3名(以下NTVチームと略)。カメラマンのシャシ。ディレクターのスルヤマン。そして、モデル出身の番組司会者シヴァニ。全員トレッキング初体験。

今回の旅の仕掛け人キャプテン・トリプル・P・グルン は、一見いかついゴリラマン。マナン郡で初めてパイロットになったという人物であり、父親は元マナン選出国会議員。カトマンズ市内のクラブやディスコでは「踊るパイロット」として有名で、酒量もザル。因みに彼のワイフで、私の友人のランベタは、トリプルより酒が強い。

トリプルの友人で、カトマンズの大手トレッキング会社のガイド イチローを濃くしたような顔のマニシュ・スッバ。彼はコンピュータ・マニアでもあり、今回はマナンにトリプルのノートPCとインマル通信機材のセッティングのため同行。

空港のあるフムデからマナンは、2時間半のトレッキング。ちょうどこの日はフムデでは、ダライラマ14世猊下の誕生日を祝うサッカー大会とピクニックが開かれていた。

NTVチームは村の人たちにインタビューをしたり、のどかな様子を撮影しつつゆっくりと進む。何せこの番組、ネパール各地の人たちと司会者シヴァニの軽妙なやり取りの間に、最新のネパリ・ポップのクリップを挟むという形式である。シヴァニは一見イケイケ風のギャルであるが、インタの相手である素人さんの魅力を引き出す話術は、見ていてなかなかのものである。

マナンまでは殆ど平坦な道が続く。ハイキングより楽だなぁ〜と思って後ろを見ると、NTVチームはずーーーっと遅れて歩いている。今回は標高4,920メートルのティリチョ・レイクにまで行くんだよなぁ〜。この人たち、大丈夫なのかな.....【つづく】

晴れ着でおめかし青空おしゃべり大会


2003. 7. 15 マナン旅日記 〜 1

旅のきっかけは、いきなりやって来た。

7月2日の午後、私たち家族にとって気の置けない友人であるランベタ(ネパールでは数少ない女性ジャーナリストのひとり)が事務所を訪ねてくれた。

「ねぇ、ミキ。マナン行ったことある?ネパールTVのチームが行くんだけど、1人だけならまだ余裕があるんだよね。ミキは興味ないかなぁ」

フムデ空港コレハ、オモシロソウダ......瞬間、脳みそに電気信号が走った。亭主にも承諾をとり、その場でランベタに「私も行く!」と力強く意思表明。彼女は東ネパールのリンブー民族出身だが、パイロットのダンナ、トリプルはマナン出身のマナンギー民族である。そのトリプルがマナンの観光振興に力を入れており、毎週1回カトマンズからマナンのフムデ空港まで国内線を飛ばしているとのこと。

通常、カトマンズからポカラ方面のドゥムレ、そしてベシサハールまで陸路移動し、そこから5〜6日のトレッキングで到着するマナン。そこからトロン・パスという峠を越えればムクティナート、ジョムソムとつながる、アンナプルナ・サーキット(周遊)トレッキングルートである。

私はこのムクティナート、ジョムソム側には何度か行ったことがある。しかし、マナン側は初めてであった。しかも、カトマンズからダイレクトにフムデまで飛び、いきなりマナンに入れるというのは(カトマンズ暮らしとはいえ)、長い休暇日程の取れない身にはありがたい。

出発日は7月5日土曜日。カトマンズ国内線空港に朝7時集合である。春秋のトレッキング・シーズン中はポカラから、ロイヤル・ネパール国内線がフムデまで、週3〜5便程度飛ばすらしい。しかし雨期の間は休航となる。この間も飛んでいるのはカトマンズ〜フムデ直行のYeti Air だけ。土曜日の一往復である。

が、しかし。フムデ空港に至る空路は、狭い谷筋を飛ばなくてはならない。雨期の間は、朝の限られた時間のみ視界がひらける。またフムデ自体3,381メートルの高所にあるため離着陸にも技術がいる。カトマンズからフムデに至るのは、乗客19人乗りのトゥイン・オッター機であるが、カトマンズからフムデに向かう便には乗客は15人しか乗れない。フムデからカトマンズへの帰路は、高所での離陸のため乗客は10人だけ。これに比べてエベレストの玄関ルクラには、往路復路共に定員の19人が乗れる。これだけで見ても、フムデ便運行の技術的難しさが想像できる。

曇り空の土曜日早朝、空港に到着した私は「天候不良によるキャンセル」を告げられてしまった。一緒の便に乗るマナンギ家族連れは

「明日は飛ぶように、お坊さんにお願いしてチベット仏教のプジャ(儀礼)をしてもらわなきゃ!」

と云っていた。仕方なしと自宅に戻った後は、愚息とタメルにピザなど食べに行って1日を過ごした。

翌7月6日、日曜日。また飛ばないんじゃないの?という、カトマンズ留守番亭主のコメントにもめげずに空港に行く。今日こそは!とリキを入れた願いが通じたのか、1時間遅れの9時20分カトマンズ空港を離陸。40分のフライトでフムデ空港に着陸した。

さぁ、2003年夏休みのはじまりだぁ!

私を待ち受ける過激、かつマナン色の毎日については、その時は知るよしもなかったのだ.....【つづく】


2003. 7. 13 何だ?コイツラ (マナン旅日記 予告編)

チーム・マナン勢揃いマナンへの旅からバタバタと、今日カトマンズに帰り着きました。行きも帰りも1日ずつ、フライト・キャンセルで日程がずれました。

それにしても、この写真の面々は何者だ?いったい私は何をしに、マナンまで行ってきたのか?

マナン〜ティリチョ過激トレッキング報告に続きます.....


















7月5日〜12日まで、夏休みの旅に出ます。
行き先は、マナンとその周辺です。ティリチョ・レイクまで行けるかな?


Tilicho Lake

旅の核心部は、カトマンズ〜フムデ(マナン)間の国内線が「飛ぶか飛ばないか」 (^_^;)
雨期の気まぐれな天候次第の運まかせ......


うぐぅ〜、7/5フライトキャンセル (-_-;) 7/6再挑戦.....詳しくは日記にて。



2003. 7. 3 信じる者は、救われたい!

エベレストの夜明けStandard Chartered Bank Nepal は、ネパールでは大手の民間銀行である(ロンドンに本部がある世界規模のStandard Chartered Bankのネパール法人)。サービスの良さで定評があり、クレジットカードも使えるATMを、カトマンズはじめとする都市部に多数設置してもいる。

この銀行のキャッチフレーズは I Believe 〜 私は信じる。

私は信じる。私は自分の家を持つことが出来る。Standard Chartered Bankの住宅ローン......てな風なコマーシャル。

さて、最近この銀行の「ブランド・アンバサダー」に就任したのはアパ・シェルパさん。エベレスト登頂13回の世界記録を持つ、「ネパールの宝物」のような登山家である。アパさんがエベレスト登山の途中、銀行のバナーを掲げた写真が、行内や新聞、雑誌に登場している。

しかし、である。本来登山、アドベンチャーというのは「不確実性」を含む「危険な」行為ではなかったのか?「堅実」「安全」が基本の銀行イメージとは、相容れないものではないのだろうか?

まさか、当行は危険を冒しても大丈夫です!というメッセージでもあるまいに。多分.....ね。

思うに、不確実性の固まりのようなネパール社会では、もはや、国民的登山家アパさんのエベレスト登山の方が、世間一般より「より確実で安全」だと云うことではないだろうか。

うーーむ。勇気ある銀行......だ。


2003. 7. 1 ネパールの99ルピー・ショップ

99ルピーぽっきり!最近、カトマンズ市内の数カ所で「値段均一99ルピー、品物豊富」と書いた布の看板を出す店を見かけます。もしかして.....

日本の100円ショップのネパール版でした。商品は中国製の家庭用品や衣類など。店を仕切っているのは、インド人のようでした。

ちょうど園芸用(苗のしきりのため)に水切りかごをさがしていたので、3つで99ルピーのものをゲット。そして、茶こし付きのガラスポット。合計198ルピーの買い物をしました。

このポット、どう見ても中国製ですが、箱には写真の通り奇妙な日本語が書かれています。矢印は私が後で書き足したものです。

「チヂな作用」ですか.....はぁ (-_-;) 早速洗い、日本茶を入れるため茶こし部分をガラスポットにセットしました。

そうしたら、ガラス(写真矢印の部分)が割れました。コロッというかパリンというべきか。あはははは。1回も使えずおシャカっス。箱には「耐熱ガラス」と書かれていますが、絶〜対違うと思います。不幸中の幸いは、茶こしとふた部分が以前から使っていた中国製陶器のポットにジャストフィットで、使い回しが出来た事です。

安かろう、でも商品開発にしのぎを削っている=十二分な品質のある日本の100円ショップとは全くレベルの違う、ネパールの99ルピーショップでした。